労働文化研究院

思考の過程と飛躍の記録

相も変わらず進む「学校化」

NHKの地球ドラマチック「世界の果ての通学路」を視聴しました。

 

ペルーの高山地帯で暮らす男の子、ルーマニアの森の中で暮らす女の子、フィリピン・マニラのスラム街で暮らす女の子。それぞれ、将来への希望を抱いて学校へ行っている。今回の番組は、この子たちの通学を追ったドキュメントです。

 

www.nhk-ondemand.jp

 

普通の人は、世界には長い時間かけて学校に通わざるを得ない貧しい子どもたちがいるんだ。ユニセフに寄付したりして、支援しようとなる。

 

しかし、僕は全く共感できない。象徴的な理由として、ルーマニアの女の子は学校に行く理由として、「何も知らない子と思われたくない」と語っていたことがあります。

 

実際には逆で彼女は山の中で暮らしていく術を知っている。野菜の栽培方法、山菜の知識、山の気候などたくさんのことを知っている。

 

ペルーの山間部で暮らす男の子は、羊・アルパカの世話の仕方、毛の刈り方、チーズの作り方、小屋の作り方を知っている。

 

都市部で暮らす人たちはそんなこと全然知らない。もし、山の中で暮らすことになれば途方に暮れてしまうでしょう。本当に何も知らないのは都市部でゆき届いた教育を受けている子どもたちの方なのです。

 

そして、ルーマニア、ペルー、フィリピンの子どもたちを並列的に語ることはできない。なぜなら、フィリピンのスラム街とは国が産業様式の発展を目指す過程で逆生産的に生み出されたものだからです。

 

都市の中にある貧困街で暮らす子どもたちにとっては教育とはまぎれもなく希望です。なぜなら、都市部で生きていくためには教育が無くてはならないからです。

 

僕自身、野菜の栽培方法を知らない、牛の飼い方、小屋の立て方、ひもの結び方、山菜の種類も何も知らない。季節の移り変わりもわからない。それなのに、都市に住んでいるからのうのうと暮らすことができる。

 

教育は都市部で生きる(他に生きるすべを持たない)僕のような者にこそ必要なのです。