労働文化研究院

思考の過程と飛躍の記録

新しい時代の活動家論(2014.4.20)

 

1。青年活動家の苦悩

 2012年7月29日~31日に第26回全労連定期大会が開催され、今後の組織強化をどう図るのか。そして、次代を担う活動家をどう育成するのかを中心とした議案が提案された。討論に参加した青年からは、「今頃青年の組織強化、育成に本気で取り組むというのは遅いのではないか」という厳しい指摘もあった。どこの労働組合・民主団体(平和委員会、生活と健康を守る会などいわゆる民主的と言われる団体を指す。)でも同じなのだが、後継者の育成が立ち遅れている。このことは何年も前から言われ続けていることで、先の青年の指摘はもっともだ。

 私も含め、最近では運動経験のない20代の専従職員が徐々に増えてきている。だからこそ経験が重視される現行の労働運動では困難が伴うことが多い。経験のなさを補うために学習を重ねるが、経験の伴っていない学習は時に不信感を与える。どんなに完璧だとしても理論だけでは周囲からの信頼を得ることは難しく、思うような協力を得ることができない。そのためか中にはメンタルヘルスを抱えてしまう若手専従職員もいる。また、組織率の低下はそのまま財政に影響を及ぼすことになるため、金銭的な面での将来不安を抱える若手専従職員も少なくないのではないだろうか。全労連中国ブロック青年交流集会が8月18日~19日の二日間にわたり開催された。「今とこれから」をテーマにしたディスカッションが行われ、青年活動家の切実な思いが語り合われた。「毎月7~8万円程度の給料しかない。これでは生活ができないためダブルワークをしている」「組織率が低下し、専従を廃止することまでが議論されている。このままでは失業してしまう」「幅広く活動していきたいが、組織内で反対され活動が制限されてしまう」「青年活動に専念したいが、仕事量が多くてできない。相談を持ちかけると能力の問題とされてしまう」など若手専従職員の困難な状況を垣間見ることができた。

 さて、青年をとりまく情勢は困難を極めてきている。就業構造基本調査によると、25歳~29歳の年収は1997年と2007年を比較すると、年収300万円未満が男性では30.3%から41.6%、女性は63.7%が70.6%といずれも増加している。その中でワーキングプアと呼ばれる年収200万円未満者は、男性では7.6%から12.3%、女性は32.8%から37.2%と同様に増加している。これから生活の基礎を築いていく世代が、この10年間で賃金が下がっている状況がみてとれる。

異常な長時間労働による過労死・過労自殺が青年の間にも蔓延している。外食チェーン店ワタミに入社した青年が入社後2ヶ月程度で過労自殺した事件は記憶に新しい。2011年度の自殺者数は、30,267人で、前年から1,271人減少しているが、依然として14年間連続で3万人を超える自殺者がいる。その数は14年間で約50万人に達しており、都市がひとつ消えるぐらいの勢いだ。自殺の要因のひとつとして挙げられているのが、メンタル不全の問題。メンタル不全になる原因としては「職場の人間関係」「仕事量・負荷の増加」「長時間労働」などが考えられている。また、パワハラも職場・社会のなかで深刻になっており、厚生労働省は「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」を公表するに至った。また、社会保障は改悪され続け、消費税増税法案は成立してしまった。国家戦略会議のフロンティア分科会で「全国民の非正規化」「40歳定年制」という恐ろしい議論がされるなど、雇用破壊は止むことがない。いま20代~30代の青年はこうしたままならない状況の中で不安を抱きながら生きている。このように青年たちは困難のど真ん中で生きており、貧困・格差を肌で感じながら日々の生活を送っている。

労働組合・民主団体はそんな青年たちを仲間に迎え入れて、貧困・格差とたたかっていかないといけないわけだが、厳しい生活を強いられている若手専従職員は、「まともな暮らしのできる賃金を!」「労働時間の短縮を!」「有給休暇の積極的消化を!」と要求を掲げてたたかっていながら、いざ自分を省みると求めていることと正反対な状況にあるという自己矛盾を感じてしまうことになりかねない。活動することを仕事として選択し、生活を成り立たせている時点で活動家・専従職員といえども労働者であることに変わりはないのではないだろうか。次代を育成し組織強化を図るためにも、若手専従職員の待遇面をどう整備・補強するのかを組織内で徹底的に議論することが必要であろう。活動家が不安なくして安心して活動に専念するためには一定の条件が整っていなければならないことは確かだ。

混迷を極める情勢の中で、困難を抱えている青年活動家であるが、自分たちのこれからについては希望を見出しているようだ。全労連中国ブロック青年交流集会での「これから」についてのディスカッションで、「年一回、中国ブロックで集まって、青年が講師となる労働学校を開催したい」「できること。したいこと。しないといけないことは色々ある。楽しく豊かに生きていきたい」「人と出会うことで、その人の生き方を知っていきたい」「自分の外に目を向けると色々な人がいる。そんな人とつながっていきたい」といった前向きな思いが溢れた。どんなに困難な状況にあろうとも希望を持って小さなことにも可能性を見出しながら活動している青年活動家のスガタが見える。

 

2。活動家の生みだすもの

 一般的に労働組合、民主団体の専従職員は何も生産していないと言われることが多い。はたして本当に活動家は何も産みだしていないのだろうか。先の全労連中国ブロック青年交流集会でもこのことが議論された。しかし、誰も明確な答えを示すことができないまま議論は終わってしまった。

三浦展氏は著書「第四の消費 つながりを生み出す社会へ」(朝日新聞出版)において、1912年から現在にいたるまでの日本社会の「消費」を4つに切り分け、日本人の消費行動の傾向がどのように変遷していったのかを解説している。ここで著者のいう第四の消費とは、ただ物を消費するだけではなく、そこに人と人とのつながりがもてるような消費である。このことにヒントを得て「第4次産業」「第5次産業」について考える。経済学には「第4次産業」「第5次産業」という考え方がある。第4次産業とは社会における知的組織で、政府、調査機関、文化団体、IT(情報関連産業)、教育組織、図書館などが含まれる。第5次産業とは第4次産業に関連した産業分類であるが、社会や経済における上級管理職または最上位の意思決定者のみが含まれ、NPO団体、メディア、芸術、文化、高等教育、ヘルスケア、科学技術や政府などの上級管理職などは全て含まれることになる。つまり、第5次産業とは第1次から第4次までの産業形態を自由に融合、分化させて、これまでになかった一種の不定形な産業を生み出す産業を指している。

 この考え方に照らし合わせると労働組合、民主団体の生産するものは第5次産業に含まれていると思われる。最近では「婚活」をコーディネートすることや、facebook上で友達になった者同士が実際に会い交流することをプロデュースすることも職業として成立している。そこでは、目に見ることのできない人と人のつながりが生産物として生産されていると考えることもできる。労働組合、民主団体も同様に人と人のつながり、個人あるいは集団の夢・希望の実現を図る(生産する)ことをしているのではないだろうか。

 労働組合の場合、労働者は要求で団結したたかうことが基本とされる。「一方的な賃金の切り下げは許せない」「何時間残業しても手当がつかないのはおかしい」など要求は職場内に渦巻く様々な不満や悩みから作られていく。しかし、この間、広島県労連では青年を中心とした「クリスマス・パーティー」を開催し、岐阜県労連では異性との出会いの場としての「恋するBBQ」が開催されている。また、その後の岐阜県労連では「キュン闘」という合コン企画も行われている。このように個人の人生に深く関わるような要求での運動の展開が全国的に増えていくことが予想される。岐阜県労連でのとりくみに深く関わってきた青年Hさんは、「不満や悩みから出発する要求ではなく、夢や希望から出発する要求で団結したい」と語っている。職場内で不満や悩みが発生するのは「こうであったらいい」という思いとその思いの実現を阻む困難な現実があるからである。

労働組合は労働者の「やりたい」「こうしたい」を応援できる場である。そして、労働者の夢をかなえるために一緒になってたたかっていくのである。例えば、ある組合員が3年後に世界1周旅行に出かけるために、300万円が必要であるとする。また、ある人は子どもの養育費を確保するために賃金を上げてもらいたいと考えているかもしれない。仕事の成果に対して賃金が低すぎだと考えている労働者もいるだろう。こうして賃金を上げてもらいたいという要求が生まれる。そして、何らかの理由で賃金を上げてもらいたいと思う労働者が複数いて団体交渉につながる。要求を掲げて団体交渉を行い、みごとに要求を勝ち取った時、労働組合は労働者の夢・希望の実現を前進させることができたことになる。

専従職員が生産しているものは目には決して見えない人の夢や希望を実現することであり、決して「生産物がない」といことにはならない

3。まとめ

現在日本は年間 5800万トンの食料を海外からの輸入に頼っていながら、食糧廃棄量は一年に1940万トン(輸入食糧の三分の一)を廃棄している。日本と同じ食糧廃棄がアフリカやインドなどの新興諸国でも行われるようになると、世界は破綻してしまうことになる。日本では現在、経済的に豊かであることが人間にとって幸せであるという価値観が溢れている。人を評価する上でも資産家や金もうけの能力にたけた人を優先する傾向がある。しかし、経済は生活のための手段であり、目的ではない。まるで人間が市場マーケットによって支配されているように見える。いったいこんな社会はいつまで続くであろうか。

持続可能なよりよい社会をつくるためにまず大切なのは、自分自身が周囲の人、状況に責任をもって関わっていくこと。同時に要求もただ懸命に働いて物質的豊かさだけを追求する要求ではなく、文化的な要求、政治的な要求へと高めていかないといけない。より高次の要求を構築するためには徹底した議論と、理論が必要だ。時代の変化に伴って社会・経済構造は大きく変化している。そんな中でこれまでは産業と考えられなかった分野でさえも「第4次産業」「第5次産業」として社会に認知されてきている。このように刻々と変化する社会状況に合わせて、労働組合や民主団体に求められる役割や存在意義も当然変化する。こうした変化に合わせた議論を組織内で徹底的に行い、新たに理論を構築していく必要がある。資本家は時代の変化にきわめて敏感である。彼らは常に最先端の理論を学び、経営に取り入れている。例えばプロジェクト管理に関するPM論、コーチング論、ファシリテーション行動経済学論など通常私たちが触れることのないような理論に基づいて組織を運営している。新しい時代の専従職員、活動家は学びにおいて、こうした最先端の理論に触れていくことも必要である。

そして最も大切なことは「ビジョン」を持つことである。私は常々、誰もがそれぞれの専門とする分野の中で活躍しているプロフェッショナルだと考えている。しかし、プロフェッショナルとして、それぞれの専門分野の内だけでのつながりになってはいないだろうか。それでは、ビジョンは生まれてこない。社会にはNPONGO、ボランティア団体など私たちとは全く違う分野で活動を展開している人がたくさんいる。自分とは違う人たちの中に飛び込むことは勇気が必要だ。ぜひとも勇気を出して飛び込んで行ってもらいたい。様々な人たちと対話をすることで協働の道も拓かれ、新しい時代に対するビジョンが湧きあがってくる。

「新しい時代の活動家」は「新しい時代の担い手」としての活動家であると思う。活動家も専従者、非専従者とそれぞれ立場と負っている責任も違うが、自分たちは活動を通してどんなことを実現したいのか。そして、自分たちのさらに次の世代にどんな社会を残していきたいのかを改めて考える必要がある。そうした思考過程を通して、問題意識が高められ、運動の方向性も定まってくるだろう。