労働文化研究院

思考の過程と飛躍の記録

ホスピタリティ保育

 

サービスとして利益追求をすれば保育にはならない。

 

保育園と家庭での子どもは違い、保育園でできることが家庭でできないとしても、保育園でできるのだから本人にはそれをするだけの力はある。むしろ、家でできないということはそれだけ社会性を身に着けている=成長の証拠。

 

子どもにとって保育園は親にとっての会社と同じようなもの。保育士が意識しなくても、やはり子どもは頑張らざるを得ない。保育者自身が、子どもたちに頑張る保育をさせているのではないか。何かをさせる保育になっているのではないかと反芻する姿勢に非常に学ばされた。

 

親としては、家庭を子どもにとって、安らぎの場にしたい。

 

保育というのは利益を求めない非利設計であるため、損が出ないという一見矛盾した関係にある。保育で生み出される利益は、子どもの文化的成長や環境適応にある。これが、園の個性によって違ったものになるから尚のこと良い。サービスとしての利益追求型保育だと画一化された子どもしか生まれないことになる。故に保育は福祉であり、公的な支援が必要になる。

 

保育は福祉であり、子どもたちの感情を耕すこと。困難な生活背景を背負った子どもであっても、自分の気持ちを客観視し次にどうしたいかを自分で決めることできるようにすることが大切。

 

それは、そうせざるを得なかった背景に思いをはせられること。子どもにどう「させる」かではなく、子どもをどう「見る」かという肯定的な思考形態がある。これこそまさにホスピタリティである。

 

ホスピタリティとは忖度することでもなく、慮ることでもない。相手の自律性を尊重することにある。